
右手が冷たい。自分の手だと言うのに、まるで違う感覚がする。
右手だけなんだ。
なんでだろうね?
特に暇じゃない。あれもこれもやる事は沢山ある。一つ解決すれば、息つく暇もなく自分の元に転がり込む。資料を目で追う。仕事柄、徹底的に分かりうる限り疑う。
追求して、追求して真実を見出す。
資料を読む限り真っ黒。あくまでも、紙での話だ。
さて、頭に入ったところで、気分転換に行こうじゃないか。
バイクをメンテナンスに出し、街中をぶらつく。部屋に籠っていると、ちょっとした季節の変化が分からなくなる。
例えば、一週間前まではすごく暑くて汗が止まらなかった。と思えば、今は上着を羽織っても肌寒い。こんな変化も感じれられなくなったらお終いだ。
少しの変化は街の装いも変える。
日本人には馴染みがないのに、ハロウィンだ。と騒ぎ、色々平和だ。と笑みが零れる。
確かこの前はスイカがモチーフのディスプレイだったのに…。今はカボチャか…。
たまたま目に入った雑貨屋で、ジャックオランタンのガラス細工を手に取る。
カボチャの顔の部分にアロマキャンドルが入るみたいで、魔女のような帽子が取り外せるようになっている。
その隣には、ランタンの部分にアロマキャンドルが入るジャックオランタンが並ぶ。
その期間限定の品は、まるで自分のようだと自虐的な事を考えてしてしまう。
歌を歌う事、つまり芸能人と言うモノはある程度の時間が過ぎると忘れ去れる。
気まぐれでハジメタ歌。逃げる事も許してくれた歌。様々な刺激をくれた歌。そして、失うこともあった歌。
そんな自分は期間限定だと自覚している。
たまたま目について手に取った不思議なジャックオランタン。コイツは自分の元に来たいのか?と勝手に想像して、そのままレジへと向かった。
あれやこれやと散策をしていると、そこでじゃないと出会えないモノが溢れている。
洋服を見ても、気に入ったデザインのジャケットや靴、アクセサリーや時計は自分の足で見て買うのがすごく好きだ。
名もないブランドでも、有名ブランドでも気にしない。
自分が気に入れば、何だっていい。
何だって。
そろそろ何か食べようと思った。
朝から珈琲を口にしてから、固形物を入れていない事に気が付いた。
人間とは面白いもので、気が付くと途端にお腹がなり出すのだ。
カフェもいい。でも、今はそんな気分じゃない。
ファーストフードでもいいが、食べた!という気分にならない。
腹持ち…というのか、すぐに何か食べたくなる。
辺りを見回し、小さな洋食屋を見つけた。表に出ているディスプレイの中に、極々シンプルなオムライスを見た。
オムライス、食べたい…。今日はここにしよう。ケチャップライスのオムライス。
「あれ?牙琉検事?」
「ん?あ、おデコくん?奇遇だね」
良ければ相席どうです?おデコくんは目の前の席を指差す。
では、遠慮なく。椅子を引き腰掛ける。
「おデコくん、もう食べたの?」
「いえ、今から注文しようかと…」
「そうなんだ。僕はディスプレイのオムライスに惹かれてしまって」
「俺もですよ。何だか無性に食べたくなって…」
店員がおしぼりとお冷を、そっと置く。
ご注文はお決まりですか?と、空気を読んで僕たちを見た。
オムライス二つね。と伝えまたおデコくんへ視線を向ける。
「今から…、お昼?それとも早い夕食?」
「ちょっと調べ物してたら夢中になって、今からお昼ご飯です。牙琉検事もですか?」
「うーん、僕の仕事は早く終わったら、気分転換に街を散策してたよ」
「そうなんですか。検事が手荷物沢山持っているのが珍しくて」
「今日はアレコレと沢山買ってしまってね。たまにこういう事をすると、沢山発見があって楽しいんだよ」
「俺もそう言うノープランとか好きですよ」
オムライスが出来上がるまで、ただ普通の会話をして待つ。
すると、バターの焦げる香りが、心地よい空腹感を誘う。
暫くすると、黄色の卵に包まれデミグラスソースがかかったオムライスに、小さなサラダとカップに入ったオニオンスープが並べられた。
心待ちにしていたのか、おデコくんの特徴的な前髪がピコピコ動いてるように見えて、思わず笑そうになるのを堪える。
「早速食べようか」
「そうですね。もう俺お腹ペコペコです」
「では、いただきます」
銀色のスプーンを黄色の卵に入れる。
スプーンを引くと、バターライスが中から出て来る。
あれ?僕の想像していたモノと違う。てっきりケチャップライスだと思っていたのに…。
目の前をチラリと見ると、全く同じような顔をしている。きっとおデコくんもケチャップライスだと思っていたんだろうね。
おデコくんと目が合った。何だか変な笑みが出てしまった。
その後キチンとオムライスを食べて店を出た。
少しだけ歩いてからおデコくんに小さな声で、ケチャップのチキンライスだよね…。オムライスって。と呟くと、やっぱり検事もそう思ってました?と答えた。
「何というか、黄色の卵にケチャップライス、ケチャップが乗っかってるかデミグラスソースって、ロマン?ってありますよね」
「ロマンは分からないけど、言わんとする事は何と無くわかるよ。僕もケチャップライスが良かったなぁ…」
さっきまでピコピコ動いてるように見えた前髪は、ゲンナリと萎れてる。触りたい衝動を抑える。
次の店に〜と言いたいけど、お腹はいっぱい。折角いい感じの洋食屋だったのにザンネンだ。
「牙琉検事、明日のお昼にケチャップのオムライス食べに行きません?」
「え?」
「忙しいなら、違う日でも…」
「いいよ。今日のリベンジだね。僕が明日迎えに行こうか?」
「事務局で仕事なら、事務局迄行きますよ」
「分かった。じゃあ明日連絡するよ。僕の連絡先知らないよね?」
「あ、そう言えばそうですね」
これは完全なプライベートな番号だから、変な人に渡さないでね。と笑いながら一枚名刺を渡す。
あたふたしてたおデコくんは、見ていて楽しい。
何気ない会話が出来るって、素晴らしいね。
2
存在を認めてしまうと、僕の右手は更に冷たさを増すんだ。
君が断れない事を利用する卑怯者だよ。
あれから何度かおデコくんとご飯に行く仲になった。
それと雑貨屋で買ったジャックオランタンは、お嬢さんにプレゼント。とおデコくんに渡した。
食事の時に話す内容なんて、本当に他愛もない事だよ。
所長のお嬢さんの事、彼の親友の事、趣味の事、聞いてるだけでじぶんが体験した事がないモノが多くて飽きない。
おデコくんも僕の話をくいいるように聞いてくれる。
学生時代の事、趣味の事、後は食べ物の事。ちょっとこだわりを持つタイプだと自覚してるから、食べ物は兎に角美味しいものが食べたい。よくおデコくんから作らないのか?と尋ねられるが、僕はもっぱら食べる専門。こだわる癖に作れないんだよ。
えと、これは所謂内弁慶的な?感じ。
こんな話をしてるうちに、おデコくんは料理が得意だという事がわかる。
何度も僕の家で作って。と頼んでるのに、遠慮して作ってくれない。
一度おデコくんの自宅に行く事があって、その時に出された料理がとても美味しかった。
もっともっと食べたいんだ。
はぁ。
溜息がびっくりするぐらい深く出た。仕事の量が半端じゃない。引っ切り無しでいつ区切りをつけていいか分からないぐらいだ。
御剣検事局長曰く、それぐらい捌けないワケではあるまい。とそのまま。
噂に違わぬ厳しさ。酷い。兎に角酷い。と刑事くんに零すと、鬱陶しい。とかりんとうを投げられた。
ダメ。癒しが欲しい。
そう言えばおデコくんにも会えてない。会いたい。我慢が出来ないから、携帯を手にしメールを打ち込む。
今日か明日ご飯どう?
それを打ち込むのが精一杯で、口にブロックタイプの総合栄養食を放り込み再度書類に向かう。チーズ味の広がり少しばかりあった空腹感は無くなった。
18時。通常なら定時でさぁ帰ろう。と思うのに、全然終わらない。ずさんに処理しているモノを再度し間違いがないか。小学生でも言われた事なら出来るのに、同僚共の腹の立つ書面を見て怒りを通り越して呆れてしまう。
何でココを間違えて…、あーもー!ガリガリと頭を掻く。もう1から勉強して来い!と心の中でごちる。
ドン、ドンと修正した書類は山積みになり、首をコキコキと鳴らす。取り敢えずひと段落。ふと携帯を手に取るとメールの返信がある。というより、今の時間に驚いた。21時…⁈え、えとメールの内容は…。
今日でも大丈夫なので、検事局の入り口で待ってます。
ウソ⁉︎ちょっとコレはマズイ!
慌てて書類を鍵付きの引き出しに突っ込み、照明を消し自分の荷物を纏め厳重に鍵をかけて入り口に向かう。
ぜーはーと息を荒げ入り口に向かうと、おデコくんはエントランスのベンチで本を読んで待っていた。慌てて駆け寄る。
「待たせてしまって本当にゴメンね。おデコくん」
「俺は大丈夫ですよ。検事こそ大丈夫ですか?忙しそうだし…」
「僕は大丈夫だよ。おデコくん寒くなかった?本当にゴメン」
ほら、やっぱり冷たいじゃないか。手を握り、口元に持って行きはぁと手を暖める。
「なっ、アンタ何してるんですか⁉︎」
「暖めてるんだよ。こんなに手を冷たくして!」
「おっ俺は大丈夫です!検事こそ右手冷たいです。早く何か食べに行きましょう」
慌てて僕から手を離す。右手が冷たい?不思議に思い、おデコくんの片手を握る。
ひんやりしてきたのは、相手の方からだ。僕が冷たいわけじゃない。
また慌てて手を離し、いそいそと外に出るおデコくんを追いかけた。
今日は趣向を変えて、家庭料理が売りの居酒屋へ入る。
ここはおでんが凄いんだよ。と紹介して奥の座敷に座る。ここはカウンター席と座敷の本当にどこにでもある居酒屋。座敷は襖で仕切られていて、ちょっとしたプライバシーも守られる。
「意外っておデコしてる」
「意外、いや、おデコって何ですか!」
「ここは本当におでんだよ。出汁が黒いんだよ。でもくどくなくていけるよ」
「俺、黒いおでんとか見たことないのでちょっと楽しみです」
「よかった。ここは熱燗?冷酒?ビールもいいね」
「醤油の味なら、日本酒がいいですね。おでんで温まりそうですし、冷で…って検事は大丈夫ですか?」
「僕は平気だよ。冷酒なら辛口がいいね。じゃあ、おでんは適当に決めてもいい?好き嫌いないよね?」
「はい。大丈夫です」
大根と牛スジ、それから玉子と厚揚げ、がんもとさつま揚げ。
女将さんオススメのイワシのつみれ。
それからオススメの冷酒を注文した。
響也ちゃんが誰かを連れて来るなんて、珍しくて明日は雨じゃない?と女将さんが大きく笑う。友達いないみたいに言わないでよ恥ずかしい。僕も同じノリで返す。
ここは「検事」や「ガリューウェーブ」の牙琉ではなく、一個人として見てくれるからお気に入りの場所。
すると、おデコくんが大きな声で笑い出す。
「検事が、検事が、響也ちゃんって!」
テーブルをドンドンと叩き爆笑している。
僕何か変な事言ったかな?
「響也ちゃんがこの子を連れてきた理由、何と無く分かるわ。気を使わないっていい事よ」
手をヒラヒラして女将さんは離れる。
気を使わない。確かにそうかも…。って何時迄も笑ってないのおデコくん!
「検事、手酌は出世しませんよ」
「え?」
「俺が注ぎますから、お猪口を持ってください」
「はい。でも僕出世とか…」
「ダメです。検事にはもっともっと上で居てください」
何それ…。凄い殺し文句だってこと気が付いてないの?
「僕が上を目指したら、御剣検事局長を蹴落とさないとね」
「あ、そ、それはっ」
「ゴメン。意地悪だったね。オーケイ。上を見るつもりで頑張るよ。となると、おデコくんは成歩堂なんでも事務所から独立かな?」
「多分きっとそれはないですね」
「ハッキリ言うね」
「当たり前です」
冗談を入れつつお互いのお猪口に注ぎ、お疲れ様です。と乾杯した。
お通しの卯の花を一口。
程よい甘さが堪らない。その後にちびりと、辛味のある冷酒が喉と鼻に抜ける。なんと贅沢なことか。
ぐいっと冷酒を喉に通す、目の前のおデコくんにびっくりする。
「結構いける口なんだね」
「え?いや、その、口当たりが良くて、つい…」
「おでん以外も頼もうか。折角の美味しい大吟醸だし、お刺身もね」
「確かにそれはススみますね。でも明日の…」
「まぁ僕も子供じゃないし、加減しながら飲むから。さてさて…」
壁に貼り付けてある、オススメのお品書きを見た。
「…本当に真っ黒い!」
「辛子をつける前に、この鰹節と煮干しその他諸々粉末をかけて、さぁ召し上がれ」
「頂きます!」
大根に箸を入れる。しっかりと味が染み込んでいるので、少しの力も入れずにパカっと半分に割れる。更に半分にし、少量の辛子を付けて口に運ぶ。魚粉の香ばしい香りと、醤油ベースで味付けしている大根は噛み締めると、ジュワッと広がる。
其の後に鼻にツンと抜け、冷酒を口にする。
「美味い。これは病みつきになりますね」
「そうでしょ?ひっそり来て、おでんの味とお酒を頂く。最高に贅沢で幸せになるよ」
「がんもどきや、厚揚げなんで想像したら、ヨダレが出そうです」
「遠慮せずに食べてよ。おデコくんの食べっぷりは見事だから、僕も美味しくご飯頂けるし」
「俺の食べるところ見てもツマラナイだけです」
そんな事ないよ。見てて楽しいんだ。とっても。ご飯を食べてる時も、話す時も、仕事をしてる姿も、裁判で熱いギグをしてる時も。
「牙琉検事ほら、熱いうちに食べましょう」
「そうだね」
慌ただしく苛々していた心は、自然と溶けてなくなった。癒し…、そうだね。おデコくんは僕にとって癒しなんだろうね。
ただの顔見知り?それとも知り合い?友達?僕はおデコくんに何を求めているのだろうか?今のままが心地良い。もし失ったらどうなる?
右手だけが冷えて行く感覚がした…。
「だから言ったんですよ。飲み過ぎないで下さいって」
「飲み過ぎて無いよ。おデコくんがお酒に強いだけでしょう!でもいいんだー。僕は今日は凄く気分がいいんだ」
「ほら、タクシー拾うのでしっかりあるいて!」
自分より少し背の低いおデコくんの肩を借りて、大笑いする。気分がいいのは嘘じゃないし、ほわほわして楽しい。
楽しいと思うと、肩を貸してくれているおデコくんの余裕さが癪にさわった。
こんな触覚はこうだーー!とワシャワシャ前髪を弄る。
あははははっ!お腹が捩れるぐらい笑い、バシバシおデコくんの背中を叩く。
げほげほむせながら、アンタ何してんですか!と怒り出す。怒ったって怖くないもんね。また髪をワシャワシャする。そしてまた笑う。
「ほら、タクシー来ましたよ!」
「僕もー眠いー」
「アンタの家何処ですか!」
「しーらなーい」
「ッたく、仕方が無い。家に連れて行くしかないか…」
おデコくんって甘い香りするよね…。僕はとても安心するんだ。